アメリカ体験記④ 青春
良いことばかりではない。
一応、ネットなので当り障りのないことをまず書くが、突然の請求もその1つだった。
奨学金を出すからお金を払わなくて良い、と聞かされていたものの、ブランケット、シーツ、枕カバー、タオル……そのようなものを借りるだけで出費がかさむ。
その上、アメリカからドイツへ郵送されてきた招待状とビザの書類関係の郵送料の請求も来た。
多額の奨学金を出していただいたとはいえ、航空券は自分で購入しているのである。
その上この郵送料は、非常に高額な請求だった。
そこで私は、事務のメリーさんに、仕事を増やしてもらえないか相談しに行った。
アメリカでは、奨学金をもらう代わりに、何か仕事をもらうというパターンがある。
例えば私は、週3回のコンサートで会場を整備したり、プログラムを全員に配る仕事をしていた。
結論から言うと、新しい仕事を増やしてもらうことができたのだが、随時突然の請求には肝を冷やしたものだった。
これは単なる一例に過ぎないが、他にも困難はたくさんあった。
そしてその度に、温かい友人たちに何度も助けられ、支えられた。
困難があったからこそ友人の温かさを知れた、良い経験だったのでは、とさえ思える……
涙が出るほど悔しい思いをした日に、マシュマロ入りの可愛いチョコレートのお菓子を「元気出して」とくれた人がいた。
自分の国から自分の為に持ってきたお菓子と一緒に、温かいメッセージを添えて渡してくれた人がいた——
そして特に忘れられない思い出は、ジェレミーのカラオケと天の川である。
ある日、ジェレミーが気分転換にカラオケをしよう、と言った。
もちろん山奥にカラオケ館はなく、子供たちが寝静まった後、ジェレミーのパソコンとスピーカーを使って私の練習室「ホロヴィッツ」に集合した。
極秘開催のカラオケである。
ヴァイオリンのスージャン、ポルトガルから来た金髪美女のガビー(ガブリエラ)、ジェレミー、そして私の4人である。
寮ではさすがにカラオケはできなかった。
隣の隣の隣の隣くらいの人のイビキまでよく聞き取れるほどの壁の薄さだったからだ。
今にもクマが出そうなほどの真っ暗な森の中の練習室に4人でこもって、当日流行っていた Despacitoやアリアナ・グランデ、twiceの曲を歌った。
ポルトガルから来たガビーのダンスは、さすがのラテンのDNAを感じた。
真剣で、精一杯で疲れさえ忘れてすべてに全力だったこの時間をきっと青春と呼ぶのかもしれない。
別に日には、天の川と、流れ星の下で将来について真剣に語り合った。
あの夏の思い出の中で、一番記憶に残っていて恋しいのは、こういう時間と、天の川なのかもしれない。
ちなみにその後、主催者に「君の練習室はパーティー会場ではない」と唐突に言われた恐怖も忘れないが。
つづく