アメリカ体験記⑥ さすらい人
さて、ピアノ専攻の私がピアノソロについて明かせなかった理由を、少しここに書き残したい。
正式に申し込む前、まだ事務とのやり取りを進めていた頃、実はこのミュージックフェスティバルのレビューを見つけたことがある。
そこには、こう英語で書かれていた。
「個人的な意見ですが、あなたがピアニストであるならそこはいい場所ではありません。私たちはいい経験をしませんでした。」
この意味に、正直ある意味では納得した。
私はとても葛藤をしたが、自分の信じる道を選んだ、とだけ書いておこう。
時にはただ乗り切ることだけに集中し、ただ静かに時を待つことも大切なのである。
(これは2ヶ月という期間だからこそできることであって、もっと長期的なことへは応用不可能だが。)
しかし結論から言うと、この経験は同時に非常に有り難かった。
私がこの2ヶ月間に仕上げた曲は、シューベルトのさすらい人。
やるせなさ、行き場のない痛み、悲しさ、悔しさ、葛藤……
それでも信念を貫きたい思い……
この曲を創り上げるための材料がここにもあったとも言えるだろう。
人生で初めて、10時間さらった。
6, 7時間という日は当たり前だった。
ネット環境はなかった。
森に囲まれて、ひたすら音楽に向き合い、日頃のモヤモヤした嫌なものや、トラブル、悩みが、遠く小さく思えた。
もはや、考える時間さえ減って、忘れていった。
たまに思い出したように空が晴れるが、昼間はほとんど曇りか雨だった。
積乱雲が通り過ぎると、尾瀬か、草津を思わせる湿地帯になった。
ただひたすら、雨の中、湿気で全員が音程を狂わせながら、ひたすら最低限の生活をし、練習した。
18歳以下の子が1人、リタイアした。
蜂と巨大蜘蛛が部屋に入るたび、誰かが叫んだ—―
不思議と、人間関係のトラブルはなかった。
きっと人間は、最低限の生活の方がストレスも少ないのだろうと思った。
そんな日々の中で、シューベルトがさすらい人を書いた時の心境を考えた。
居場所を見つけたかったんだ。
自分が存在できる場所、癒され、安心できる、休める、幸せなオアシスのような場所。
ハ長調の中にさえ、行き場のない痛みや悲しさ、やるせなさが隠れている。
それでも彼は夢を見る。
自分の思い描いた場所を見つける夢を。
潜水するように練習し続けた私も、同じような心境になりつつあった。
何に辿り着いていいか分からなくて、でも何か美しいものに辿り着きたくて、それがどんな形をして、どんな色なのかも知らないし、どう行ったらいいのかもわからない。
でも、どうしても、その「何か」に辿り着きたい。
きっとそれが、さすらうって意味なのだろう、と。
2ヶ月間の終わりに、200人以上の若い音楽家たちの前で弾いた。
毎週、週3回行われたたくさんのコンサートの中で、1番最後のソロの出番だった。
舞台に出るまでとても緊張した。
震えた。
しかし、弾き始めた途端、震えていることなんてどうでもよくなった。
ただ、自分の演奏に没頭できた。
覚えているのは、2楽章で家族を思い出したこと。
そして、どんなに頑張っても報われない辛さも思い出したこと。
最後のアルペジオを駆け抜けて、なんとか最後のハ長調の主音を弾き終えて立ちあがった時、全員の温かい笑顔とスタンディングオベーションを見て、心底ホッとした。
心の底からありがとうと思って、お辞儀をした。
ちなみにそのコンサートピアノは、ラフマニノフが昔使っていたものだった。
たくさんの人がハグをしに来てくれた。
1人1人、それぞれの言葉で感想をくれた。
私の帰り際にも「ハルカのさすらい人を聴いてさすらい人がとても好きになったの! だからさっきアップルミュージックにダウンロードしたの!」
と言いに来てくれた小さい子がいた。
結果、オーライということで、ここでのピアノソロの経験を書くのはこのくらいにしておこう。
アメリカ体験記 〜完〜